東京ステーションギャラリーで『河鍋暁斎の底力』展が開幕しました!
河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の絵はリアリティを極め、妖怪のように見えない生き物も存在するかのように描き出せる稀代の絵師です。最近は評価も人気も高まっており、展覧会も頻繁に開催されています。
『河鍋暁斎の底力』は「ほぼ史上初!(当館調べ) 100%暁斎の展覧会」とのことで、暁斎の作品のみ、しかも下絵など本画ではない作品のみで構成されています。
「ってことは本画よりは見劣りするんでしょう?」と思うことなかれ。下絵の凄まじさからこそ、暁斎の本当の実力が見えるのです。
では、河鍋暁斎と展覧会の見どころについて解説していきます!
河鍋暁斎とは?
河鍋暁斎[1831(天保2)~1889(明治22)]は、幕末から明治にかけて活躍した画家です。近年は評価と人気が高まり、毎年のように展覧会が開かれています。
やや暁斎を難しくしているのが、「この画家といえばコレ!」と分かりやすい代表作が無いからだと思います。葛飾北斎なら富士山ですが、暁斎は…なんだろな。私は百鬼夜行など妖怪を描いた作品が好きですが…。
暁斎は自らを「画鬼」と称するほど絵に対して貪欲な人でした。生首が落ちているのを見つければ写生のために拾って帰り、近くで大火事があれば火事の様子を観察します。女中の着物の帯模様に惹かれて追いかけ回したことも。
数え3歳でカエルを描いた暁斎は、7歳で歌川国芳の門下生となり、10歳頃に駿河台狩野派の前村洞和に入門します。さらに修行を積み、19歳の若さで修行を終えてしまいました。
エピソードだけでも絵への狂いっぷりがよく分かるのですが、実力も伴っているのだから何も言えません。そんな暁斎の底力を見てみよう!というのが本展で、それゆえに本画ではなく下絵や素描などが展示されています。
展覧会の見どころ
本展は暁斎の底力に焦点を当てているため、絵の練習過程や構想が分かる資料がたくさん展示されています。彩色されて完成した作品ではなく、下絵や素描、席画、絵日記、絵手本のみで構成された珍しい展覧会です。
つまり、稀代の絵師による制作の裏側が見られるということ。メイキング好きには堪らないですね。
中でも、暁斎がどうやって暁斎になったかが分かる見どころを3つ厳選してみました。詳しく解説していきましょう。
- 人体の骨格を把握していた証
- 即興で描かれた席画
- 私的な絵日記
人体の骨格を把握していた証
暁斎は人体の骨格が頭に入っていて、どんな場面でも自然に表現できたのではないか、と思います。
《夕涼み美人 下絵》は、女性が縁側らしき場所に腰をかけ、身体を後ろ側に捻っているところを描いた下絵です。
この下絵をよく見ると、頭骨や肋骨なども描かれています。先に女性を描いて、後から頭骨や肋骨を書き込んでいるそうです。
暁斎が人体の骨格を把握しており、紙面に自然と再構築できていたことが分かりますよね。
《人物動態 男女・子供 絵手本》では、裸体の人物を描いてから服を着せる「着服図法」を用いています。骨格だけで男女を描き分ける方法を伝える絵手本だったのではないでしょうか。
また、衣のたるみやシワの表現も見事です。裸体に衣服を着せているので、透明な着物を着ているように見えました。
暁斎が絵を描くときは骨や裸は描かず、着衣の人物をいきなり描いています。しかし骨格把握の大切さを理解していたため、絵手本で教える作例を残しているのだと思います。
即興で描かれた席画
「席画」とは、お客さんからお題をもらい、即興で描かれる絵のことです。江戸から明治にかけて、大勢のお客さんを集めた書画会が開催され、絵師たちが腕前を競っていました。
暁斎も頻繁に書画会を行っていたようで、たくさんの席画が残されています。
席画はお客さんからお題をもらったら、下書きをせず、その場で素早く完成させる必要があるので、絵師の技量が如実に現れる怖い側面もあります。ですが、暁斎にとっては独壇場だったかもしれません。描くために生まれてきたような人ですからね。
展示されている席画は、どれもしっかりした完成度でした。暁斎が得意げにサラサラと筆を走らせ、あっという間に完成させる映像が思い浮かびます…!
暁斎の技量を目の前にした人々も驚いたのではないでしょうか。一体どんな魔法を使ったら、短い時間で今見てきたかのようにリアルな絵が描けるのかしら、と。
私的な絵日記
暁斎は毎日絵日記をつけており、一部が本展で公開されています。私的なものなので、本人も他人にはあまり見せない前提で描いていたと思われます。東京のど真ん中で展示されていると知ったら、めちゃくちゃに怒り出すかもしれませんね…。
余白がもったいない!とでも言わんばかりに、ぎっしりと絵が描かれた絵日記。来客や訪問先で見た光景を描いたのか、特に人物がわちゃわちゃしているのが可愛らしいです。
表情や仕草にも特徴があり、漫画としても見られそうです。浮世絵に通じるユーモアがあり、葛飾北斎を思い出してしまいました。
暁斎は酔っ払ってベロベロになって帰って来ても、絵日記を描くことだけは忘れなかったそうです。亡くなるひと月前まで、絵日記を続けていました。
ユーモラスで可愛いですが、絵日記には暁斎の魂が刻まれています。絵に狂い、絵と心中した男なのだ、と絵日記が私に主張していました。
【まとめ】河鍋暁斎の真骨頂がここに!
- 河鍋暁斎は「画鬼」と自称するほど絵に没頭していた
- 本展は下絵を通して暁斎の底力を学ぶ試み
- 即興の席画や日常の絵日記もハイレベル